大野青年会議所では,昭和57年(1982年)ごろから,特に教育開発に力を入れるようになり,機会あるごとにこの議論をしてきた。国レベルでも教育改革が騒がれ,いろんな模索を始めたころでもあった。そのうち議論ばかりでなく,何か形になるような行動をしようという雰囲気になってきて,昭和59年に寺子屋道場,親子キャンプ教室といった1泊2日の子供の教育事業を開催するまでになった。 どの事業も大成功に終わり,その中でいろんな事を学び事業のノウハウも得た。それを受けて昭和59年秋,太陽の森学園構想が提案され,14ページにわたる趣意書を基に,会員の中で教育に関する議論が一層高まった。 その趣意書には,教育の原点に返って,将来の日本,世界,地球人類を背負って立つ人間を育てようということがうたわれていた。自然界と人間の調和を考えられるような人間,やらされるよりやる人間を育てなければならないが,そのためには知識優先ではなく五感に訴える方法でなければならないなどと熱く語られていた。 そして,その構想が「カントリースクール」という名称となり,事業内容が発表されたのが昭和60年2月のことであった。ここにいうカントリーは「田舎」という意味ではなく「国家」の意味をも含むものとして会員の意見が一致した。 当初は,大野青年会議所の事業として実現できるだろうかなどと不安なことばかりであったが,担当会員が中心となって,全会員を説得し,外に向けても働きかけを行った。そして,会員相互において議論や模索を繰り返し,青年会議所OBの協力,各学校や教員の方々の協力,地元研究会や一般市民の有志による協力,更には大阪青年会議所と追手門学院小学校の協力を得て,具体的に進展してきたのはその年4月のことである。5月には追手門学院小学校からの現地視察を受け,GOサインを頂いたのは6月に入ってからであった。 こうして第1回カントリースクールが実現し,それ以来これまで20回を重ねることができたのであるが,太陽の森学園構想の方針,教育に対するスタッフ達の熱意がこれを実現させてくれたのである。今後においてもこれが不変であるように継続していきたいし,関係方々の更なる理解と協力をお願いしたい。